子宮筋腫と一緒に妊娠&出産⑭!~『無事に出産』の敵は実母~

実母が”超ハイリスク妊婦”の私に『ストレス』を与える…

私の母は自分軸で物事を考える人で、私にとっては『ストレスの源』でした。以前に流産した時も母に妊娠したことを話してから、かなりのストレスを受けて…赤ちゃんの心拍が確認できないまま流産してしまいました。医師からは「染色体異常の為だ」とは告げられましたが、私的にはストレスで血流が悪くなって流産したんだと思っています。

だから今回の妊娠のことはもちろん黙っていました。なので順調に妊娠が経過していましたが、子宮筋腫があるために切迫早産になり入院することに。その際に緊急連絡先を書かなければならず…結局は母に話すことに。妊娠して切迫早産で入院したこと、子宮筋腫のことも全部話しました。

でももし入院しなかったら、無事に出産してから皆に報告するつもりでした。というのも私はストレスをとても感じやすかったので、誰にも妊娠していることを言わずに普通の精神状態で出産まで過ごしたかったのです。

もちろん母にも、「誰にも言わないで」と言いました。父に話すのも無事に出産してからでいいと。でも母が父に言わないはずがないので、内緒で父には話しているだろうと思ってはいました。それは想定内でした。だから母が父に話したと話してきたときには、内心「だろうと思ったよ」とストレスも感じませんでした。

実姉が出産したことで、予想外の”最悪な展開”へ…

しかし想定外のことが起こりました。なんと、喧嘩をしていた姉が「出産した」と姉の夫から私の夫へ報告がありました。とても驚きましたが…私よりも高齢の姉が無事に出産したことは喜ばしいことであり、ストレスにはなりませんでした。

でも母に出産の連絡があったことを話すと、私にだけは「妊娠していることを言わないで」と姉に言われ黙っていたことを告げられました。さすがにショックでしたが…私も姉にもうすぐ出産することを言っていないのでお互い様だと思い、ストレスには感じませんでした。私の場合は母以外みんなに黙っていたので比重は違うのですが。

一方で母は『姉の方から私に出産したことを伝えたんだったら、私の妊娠も伝えていい』と何故か思ったらしく…勝手に私ももうすぐ出産することを伝えていました。翌日、母の話から私が気付いて問い詰めたら悪ぶれもなくそのことを認めました。

とてつもないストレスを感じ、頻回にお腹が張りました。緊急帝王切開になる可能性もありました。「だから誰にも言いたくなかったのに…!!!」と、とてもとても後悔しました。

悲しい誕生日…

母を問い詰めてからは、母はだんまりを決めて連絡してこなくなりました。いつものことです。出産前に私の誕生日を迎えたのですが、いつもメールを必ずしてくる母がおめでとうのメールもなし。なんでこういう母なんだろうと夜中に病室のベッドの中で泣きました。「母は娘の無事の出産を応援するものでは!?」「いつものように自分の気持ちが一番ですか!?」と悲しくなりましたね。この日もストレスでお腹が頻回に張り、”お腹の張りを確認するモニター”が寝る前に再検査となりました。

父にまでストレスを与えられる…

それから数日後のこと、ちゃんと『手術予定日』は母に伝えていたのですが…母が手術予定日だと間違えて覚えていた日の前日に父から電話がありました。「明日は手術なのか?」と。「ちゃんと手術日は伝えなくちゃいけないぞ!」と説教じみた感じで。母が「明日が手術確定なのかどうか、連絡がないから分からない。」と父に文句を言っていたのでしょう。目に浮かびます。もうストレスが爆発して無になるぐらいに呆れ果てました。「父までもですか!?姉は無事に出産しましたが、私はまだ無事に出産してませんが!?」と…。

その晩は寝られず、翌日に私は話が出来る父の方に全部伝えるべきことを伝えることにしました。伝えるべきことをリストに書いて、それをひとつひとつ父に説明しました。ストレスでお腹が張ると、緊急帝王切開になる可能性があることとか。理解をした父は、母から聞いた話と違うと分かってくれたようで…無事に出産するまで連絡を絶ってくれました。

そのおかげで私は正産期の手術予定日まで順調に妊娠が継続でき、予定帝王切開で無事に元気な赤ちゃんを産むことが出来ました。

産んでから思ったのは…緊急連絡先にだけしておいて、妊娠等のことを話さなくても良かったなと。もし病院から連絡がいったら、その時は緊急事態だからしょうがないと。母には言わないほうが絶対に良かったな!!!としみじみ思いました。

…さて次回も、切迫早産での入院生活について紹介したいと思います。